“無料”と”無償”の間の、高い壁
あくまでも私個人の考えですが、
奉仕活動は、自分にできることをすればよい。
基本は「ゆとり時間」におさまるなかで。
=《気乗りしないこと(できないこと)は引き受けない。
時間がなければお断りする。》
けど実際は、引き受けたことを完了するために「ゆとり」プラスアルファの時間を捻出しなくてはならないこと、しょっちゅうありますね。
それでもそれが、「誰のため」なのか「どんなふうに役に立ったのか」明確に見えていれば、かろうじて腹に落とせるんだけど。
困るのは、
「ボク、ワタシ」に奉仕してね!
というお願い全般が「ボランティア」だと勘違いしているツワモノ!
私個人の経験ですと、絵を描いてとかチラシつくって、とか…。
それで食ってるわけじゃない私に、いやむしろ、それで食ってないってのが、大きなつけこまれポイントなわけだけど(;_;)
イラストだってチラシだって、ご一緒に楽しくやれるなら喜んでボランティアさせてもらいますよ。
でも、頼んでくる人は大抵ノーアイデア(=こちらに丸投げ…)。
で、最終的には、あれやこれや要望を出してくる。
なんだかなぁ…。
デフレの影響なんだろうか?
いやむしろ、こういう人たちが、デフレの根本原因なんだろうな。
「タダ働き」と「ボランティア」は別物だと思うんだけど。
いや、「ボランティア」って本来「タダ働き」ではないはずだよね?
無償がいかん、という意味ではなく。
目的が、相手の時間ではなく、相手が提供するモノ自体、それはまずくない? という話し。
お手伝いする側に、「タダ働き」だと思わせてしまったらそれは「ボランティア」ではなく、単なる「作業」。
それは本来、身銭を切って買うべき労働力(サービス)ですよ。
「人様のため」という大義名分より、「タダでやってもらえるから」という理由が第一の依頼。
そんなの、本来のボランティアの意味が泣いてしまうよ。
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