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最後に現れた日本人俳優にはずっこけちゃったけど
とてもほっとする映画だった。

事件事故、出会いがしらとか、なんだか疲れちゃう。
映画の中でだとしても、いや、映画だからこそ、ただぼんやり眺めていたい。

これは、主人公がど真ん中でガンガン飛び跳ねてる画面の、そのはじっこで、粗末にボロボロコロコロ人が死んでいく映画の、正反対にある作品。
この監督の作品はだいたいそんな感じですが、この映画でも、他の監督にだったらあっという間に死体にされちゃうような人物が、画面の真ん中に陣取っている。
冒頭からしばらく、時代背景は1980年代くらいだろうと思いこんで観ていたのは、
スマホやパソコンが全然画面に映らないから。
あとになって、その理由がわかるんだけど。
ほっとする要因はそのあたりにもあったのだと思う。

「パターソン」という、アメリカのとある街。
ど田舎ではないけど、都会でもない。
映画の背景なのに、やけにほこりっぽい生活感にあふれている。
俳優とか、ミュージシャンとか、詩人とか、アーティストを多々輩出しているらしい。
日本の街に置き換えると、たとえば北九州市とか?
その土地が魅力的かどうかに関わらず、人を創造に駆り立てる土地ってあるように思う。

その街中を、同じルート、同じ時刻で日々同じルートを巡回する路線バス。
その運転手が主人公。
パターソンで生まれ育った、パターソンさん。年齢は三十さいくらい?
彼が時計に目をおとすしぐさ。
おおよそ毎日同じ時刻に目覚め、朝食メニューも大体同じで、奥さんにチューをし、同じ通勤ルートを歩いて、同じバーで呑む。
一見同じようで、でもやっぱり、その中身は日によってちょっとずつ違う。
退屈な景色にうもれながら 彼に拾われることを待っている、小さな宝物たち。

足元の石をじっくり眺めるように、ノートに鉛筆をすべらせる。
生活は、なによりも尊いもの。
まさしく、主人公のパターソンさんが編み上げている、詩のように。
この映画は画面に映っていない時刻や風景まで、目に見えるよう。
大好きな眺め(三次元)を、二次元に落とし込む 主人公の鉛筆。
書かれること、詩になることで、いのちが宿る あれやこれや。
画面のはじっこまで ちゃんと生かされている感じ。

なにより、背景の街並みがなんだか、日本人の私から見て外国っぽくない。
東京でいえば立川とか三鷹とか、なんとなく地方都市の県庁所在地みたいな雰囲気で。
それはきっと、ヨーロッパの人がみてもそう感じるのではないかな。
実際に足を運んでみれば、違った印象を受けるのだろうけど。
主人公が愛してやまない滝だって、奥多摩みたいなんだもの。
映画なのに、風景がまったくノーメイクな感じ。
あえてそう思わせるように映しているのかもしれないけど、親しみがわいてくる。

うざいやつにも、ずるいやつにも、根暗でしつこい奴にも、五分の魂。
悪人が一人も出てこないこの映画はやっぱりファンタジーだと思いますが、
NHKの朝ドラみたいな饒舌さとは無縁です。そこが好きです。

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コトニトコ

50代の漫画描くおばさん。いつもご機嫌です!

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