銀河鉄道999に揺られながら-松本零士先生ありがとう。
メーテルの瞳にあこがれて、
上手に描けるようになりたくて、メーテルの瞳を模写したあの頃。
授業を受けながら、おしゃべりしながら、知らず知らずに鉛筆を握る手が動く。
教科書の余白は、いびつなメーテルの瞳であっという間に埋め尽くされてしまった。
あれから40年以上も経つけど、今でも右手が覚えている。
メーテルの瞳。
ワクワクとどきどきと…、そして切なさと。
時がたっても、退色することがない数々の場面。
銀河鉄道999は、私の生涯の宝物。
初めてコミックを読んだその日から、自分も999に乗せてもらった気がします。
行先不明の、終わらない旅です。
空を見上げて、この空のどこかを走っている999の姿を想像し、胸アツだった子供時代。
リアルタイムで作品に触れた多くの子供がそうだったように、私も、鉄郎の元を去ったメーテルの心が理解できずに。
メーテル、どうして?どうして?…悲しさより、メーテルの行動に腹を立てた。
なにより、夜空を見上げメーテルの居場所を想う時、宇宙の、そのとてつもない広さに呆然としていた。
220万年前の光、鉄郎とメーテルはもう二度と遭えないかもしれない。
きっと逢えないんじゃないかと。
そのお別れが子供心にもあんまり切なくて、鉄郎とメーテルのハッピーエンドを頭の中で考えたけれど、ジクジク哀しい心を消すことはできなかった。
そうやって、あちこちに頭をぶつけながら年を重ねて、あっという間に鉄郎の年齢を過ぎ、身内を見送り、人の世の理不尽さや不浄さにも慣れ、野太く、図々しくなった自分。
許し、許され、いつしか『仕方ねぇなぁ』の鎧に身を包んで世渡りをし、メーテルの身体年齢すらとっくに過ぎてしまった自分。
老眼のせいで、強さと鈍さの境目も見分けがつかなくなり、自分が女の子であったことも忘れてしまった今、鉄郎のもとを去ったメーテルの心が、なんとなくわかる。
空を見上げて、メーテルの居場所を想う時、どこかで生きているメーテルが幸せだったら良いのに、心からそう願う。
メーテルを想うこの切なさは、死ぬまで消えないだろうな。
松本零士先生、人の世に切ない宝物を残して下さり、本当にありがとうございました!
なにより、長年お疲れさまでした。
私は
宇宙の広大さと奥行と、
人間のはかなさと可能性
そして、あこがれる心を
銀河鉄道999から教えてもらった子供の一人です。
創り手の命は有限だけれど、作品の命は永遠無限。
先生の残した作品は、1000年先の生命にも必ず発見されるはずです。
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